あれは、世の中がミレニアムとか言って騒いでいた2000年の冬のことだった。僕宛に銀色に輝く小さな小包が送られてきた。差出人は不明。宛名等は見たこともないような奇妙な書体で書かれている。「怪しいから自分が開けましょうか?」と言うマネージャーを尻目に、僕は強い好奇心を持って恐る恐る封を切ってみた。中にはアルミ製と思われる銀のケースがひとつ。そしてその中にはやはり同じように銀色に輝くCD-Rが一枚。
「DVDでしょうか?それとも何かのデータですかね?」怪訝そうな目でその銀色の円盤を手に取るマネージャー。「ともかくパソコンに入れてみようよ。」「まさか変なウイルスとか入ってないですよね。」「ん~、じゃまずはオーディオの線で試してみるわ。」スタジオに入り、CDプレイヤーの電源を入れ、プレイ・ボタンを押してみた。昨夜のMIX時の大音量のままにセットされていたスピーカーから不思議な効果音と共にけたたましいインドの打楽器タブラの音が、そしてそれに続いてアコースティック・ギターがこれまた奇妙な旋律で流れ出して来た。一気に別世界に連れて行かれた気分。そしてヴォーカルが入ってきた瞬間「あっ!!!!!!!」この気色悪い声、しかし一度聴いたら忘れられないこの声の持ち主は、僕が知る限りたった一人しかいない・・・。
「Razor Cruiser・・・・・生きていたのか・・・・・」
謎の覆面バンド、銀星団ことSilver Stars(略してSSS)がデビューしたのが、1979年の事。テクノとハードロック、そしてレゲエやカリプソなどの要素も取り入れたデビュー・アルバムは、とても斬新で衝撃的なサウンドだった。BOWWOWのサンプラ・コンサートに乱入し、ゲリラ・ライヴを強行されたこともあったし、雑誌で対談をしたこともある。しかし覆面を絶対に外さないメンバーの態度は常に高圧的でこの世界を全て否定するような皮肉な言動や態度に満ちていた。正直彼らに良い印象は全く持っていない、しかし音楽に関しては話は別だった。そこには緊張と緩和、可笑しさと恐怖、新しさと古さといった正反対の要素が実に巧妙に、そして風刺精神を持って存在し、聴く物の心を捉えて離さなかった。
2枚目以降は背格好からしても明らかに別人とも思える布陣でヘヴィメタル色を濃くしていった彼らだが、あの初期の覆面メンバーの素性はいまだに謎に覆われてている。世間では「BOWWOWのメンバーこそがその正体である。」などと言われ、心外な思いもしたが、「・・・そうか、そういうことだったのか。ここにBOWWOWのレーベルがあることを知っているRazorは他のレコード会社ではなく、うちにやらせてまた変な噂と共に世間を騒がせてやろうってことだな。Razorめ、その手には乗るか、フン!」と正直癖になりそうな斬新なサウンドに後ろ髪を引かれながらも、僕の独断と偏見でその事実を誰にも公表しないまま(正直言うとBOWWOWのメンバーにだけはこっそり「これ最高面白いよ~」と聴かせたケド)数年が過ぎていった。その後向こうからは何の連絡もない。普通5年も経てば、誰だってシビレを切らしてもいいはずなのに。
先日何となく彼らのことを思い出した僕は、引き出しの奥から久しぶりにあの銀色のCDを取り出し、あらためて聴いてみた。「ムムム、やっぱりコイツら只者じゃない。」1枚目の乱調五番に負けずと劣らない変拍子のインスト・ナンバーの強烈さ、テクノ・レゲエや洒落たボサノバ(衝撃のエンディングが待ち受けているが)までSSS流に昇華させているし、アルバムラストのただ1曲だけ日本語詞のついた曲(何故日本語かというところも歌詞の中で述べられている)を聴き終わった時は、僕は得も言われぬ感動に包まれ全身が総毛立ってしまった。「グッ、Razorめ、負けたぁ。お前の作戦だろうが、世間になんと言われようがこのアルバム出したい。出さずにいられないよ~。」う~・・・・・・・・・・・・・・しかしやっぱり悩む・・・。伝説は伝説としてしまい込んでおくべきなのか、それともこの素晴らしい作品は皆で楽しんでこそ価値が出るものなのか。「Razorよ、何か言ってくれ~!」そしてSSSファンの皆の意見も聞かせてくれ~。
山本恭司
2004年12月30日。とても懐かしく、それでいてとてつもなく強大なエネルギーの奔流が、肉体に直接ぶつかってくるかのようなサウンドと出会った。
この日、芝浦にあるクラブ・ホリデイで行われた「GUITAR ARMAGEDDON」というイベントは、 BOWWOWの山本恭司、ラウドネスの高崎晃、コンチェルト・ムーンの島紀史が、それぞれのソロ・ユニットを率いて、 普段とは違った音楽性にチャレンジしたイベントだった。
また、彼ら以外では、デッド・ポップ・スターズで華麗なギターを弾いている藤本泰司、再結成された80年代ジャパニーズ・へヴィ・メタルの暴れ者“ジョージ吾妻 with 5X ”といったバンドが、過激なギター・サウンドで火花を散らしていた。
そのうえ、スペシャル・ゲストとしてアンセムの柴田直人と坂本英三が5Xのゲストとしてステージに登場するなど、2004年の年末を揺るがす一大ギター・イベントだった。
そのオープニングに登場したのが、韓国からやってきたブラック・シンドロームだった。
背中まである長い髪を振り乱しながら、野太い声で吠えるYoung-chul (Bruce) Parkの威圧感に、まず魅せられた。
へヴィなグルーヴでスタンディングの会場をうねらせるYoung-Kil Choeのベースと、日本人であるHideki"Ninja”Moriuchi のドラムのコンビネーション、 そしてナタを振り下ろすかのような重い切れ味のギターを聴かせる Jae-man Kim の存在感が、うねりを伴って鼓膜を強烈に震わせてくれたのだ。
さすがに、今年でデビュー17年にもなるベテラン・バンドならではの息の合ったアンサンブルと、そのサウンドが発散しているエネルギーはAC/DCのようなストレートなへヴィ・ロックに通じるものだったし、なによりもBOWWOWやブリザードといった日本のバンドにも通じる空気感を持っていた。
その音楽の成り立ちが持つ宿命として、へヴィ・メタルという音楽を演奏するための技術は、とてつもないスピードで進化してきた。システマチックで理論を優先させたギター・フレーズや、超人的ともいえるツー・バスの連打、あまりにも幅広い音域を使ったメロディなど、80年代には考えられなかったほど、21世紀のへヴィ・メタルは超絶的な技術が求められることが多い。
しかし、その反面で、かつてのブラック・サバスやジューダス・プリーストのようなシンプルでヘヴィなサウンドを出せるバンドが極端に少なくなってしまったのも事実である。
だからこそ、ブラック・シンドロームのステージは新鮮な驚きとともに、脳裏に焼きついた。
その日のステージを見るまえに、彼らの16年間の歴史を1枚にしたかのような、このアルバムの音も聴いてはいたが、 CDを凌駕するライヴのインパクトのほうが深く脳裏に刻み込まれたものだ。
80年代後期から、すぐお隣の韓国でも、数々のへヴィ・メタル・バンドが活動しているという情報は伝わってきていた。なかでも、その中核だったブラック・シンドロームとシナウィは、日本でもかつてアルバムがリリースされたこともあったし、マニアの間ではひそかな話題となるバンドでもあった。
しかし、徴兵制が敷かれている韓国では、バンド活動を中断してでも兵役に行かなければならないという事情があり、ほとんどのロック・バンドがメンバーの兵役のために活動休止を余儀なくされたり、兵役の間に解散してしまうことが普通だった。
「兵役にいくと、その間にテクニックがさびついてしまうというよりも、考え方が変わってしまって、ロックをやるような方向に考えが向かなくなってしまう。だから、兵役から帰ってきても、ほとんどのミュージシャンが活動をやめてしまうんだ」
昨年12月30日、かねてから韓国のミュージシャン自身がその状況をどうとらえているのかを知りたかったボクの質問に、彼自身も兵役を体験しているというJae-man Kimはこう答えてくれた。
上官の命令には絶対服従のうえ、団体行動を強制される軍隊では、ミュージシャンにとって最重要なものである個性や新しい発見といったものは、不必要なものといえる。軍隊生活をするためには、ミュージシャンである部分を削り取ることが優先されるのだ。
そんなネガティヴな青春時代の何年間かを過ごしながら、ブラック・シンドロームは韓国のロック・シーンで着実な活動を積み重ねてきたのだ。これは、日本にいるボクたちが思うよりもシビアでハードなことに違いない。
しかも、現在のブラック・シンドロームは、三重県在住の日本人であるHideki“Ninja”Moriuchi が在籍していることで、遠距離バンドどころではなく、多国籍バンドになっている。「やりたいと思える人が、自分の国の人じゃなかっただけ」と彼らは語るが、昨今のジャパン・バッシングを考慮しても、彼らは母国でへヴィな扱いを受ける可能性だってある。それでも、彼らは国境を超越して音楽を作り続けているのだ。
このアルバムに収録されている「 Save My Soul 」のギター・ソロを弾いているのが、日本の誇るギタリスト山本恭司であったり、アウトレイジのメンバーたちがコーラスで参加していたりと、彼らと日本とのつながりは切っても切れないものがある。
日韓同時開催のサッカー・ワールド・カップは、両国の人の心をつないだと言われていた。しかし、勝ち負けがつきまとうスポーツでは、絶対に両国の気持ちのミゾは埋めることができない。どこかに、わだかまりが残ってしまうのだ。
しかし、勝ち負けのない音楽ならば、言葉や民族や国境を越えて、ひとつになることができる。いままでだって、ミュージシャンたちは言葉が通じなくても、おたがいに音を出すだけで、雄弁にコミュニケーションが取れることを証明してきている。
ブラック・シンドロームも、みずからの音と行動でそのことを実践し、身体をはって証明しているのだ。
6月には、BOWWOWやACTION! など日本のバンドと一緒にイベントを行い、半年ぶりの来日も果たす彼らは、今回も素晴らしいステージを披露してくれることだろう。大阪のバンドが関東にツアーするかのように、韓国と日本を自由に行き来して、21世紀の新たなバンドの在り方を示そうとしているブラック・シンドローム。ボクたちロック・ファンも巻き込んで、ここから新たな国際関係が築かれていくことを期待したい。
2005年5月20日 大野祥之